第117回げんさいカフェ(オンライン)を開催しました

関東大震災から98年〜復興の歴史からこれからの防災を考える

ゲスト:地震学者 武村 雅之 さん
   (名古屋大学減災連携研究センターエネルギー防災寄附研究部門特任教授)
日時:2021年 8月18日(水)18:00~19:30
企画・ファシリテータ: 隈本 邦彦 さん
(江戸川大学教授/名古屋大学減災連携研究センター客員教授)


 関東大震災が起きたのは1923年(大正12年)の9月1日。来月1日には大震災から98年となります。
 そこで今回は、関東大震災を研究して30年、おそらく日本で一番関東大震災に詳しい地震学者の武村さんに、ゲストに来ていただき、この大震災からの「復興の哲学」をテーマにお話しいただきました。
 関東大震災は、当時の日本に大打撃を与えました。10万5000人が犠牲になり、被害総額は当時の日本のGDPの37%、国家予算の3.7倍、しかも首都が被災したわけでしたから、そこからの復興には大変な苦労がありました。しかし武村さんによると、その復興には立派な「哲学」があったというのです。
 それは「あの地震でなぜたくさんの犠牲者が出たのかという反省にたった復興だった」ということです。

 関東大震災の震源は相模湾です。ところが震源から比較的遠い当時の東京市の被害が極めて大きく、特に隅田川の東側でたくさんの死者が出ました。
 しかし、武村さんによると、その220年前の1703年に、同じ相模湾を震源として、ほぼ同じか少し大きめの規模の元禄地震が起きましたが、その時には江戸の街にはそれほど壊滅的な被害が出なかったというのです。
 どこが違っていたかというと、元禄の頃まで隅田川の東側は湿地帯で、人はほとんど住んでいませんでした。当時の江戸の街は、比較的地盤のいい、いまの千代田区、中央区のあたり、都心部の狭い範囲で広がっていました。世田谷区や杉並区あたりはその頃みんな田畑ばかりでした。
 ところが明治以降、東京の街は人口が急増、隅田川の東側にも人がどんどん住み始め、道が狭く、地盤の弱いところにたくさんの木造家屋が密集するようになりました。そこに巨大地震が起きて、折からの強風もあって大火になり、たくさんの犠牲者が出たのです。
 つまり、しっかりした都市計画がなかったので、たくさんの人命と財産が失われたということです。
 そこで、震災からの復興を担うことになった前東京市長で内務大臣の後藤新平が、帝都復興にあたっては「欧米の最新の都市計画を採用して、我が国の首都にふさわしい都を建設する」という方針を打ち出しました。
 具体的には、広い道路を整備し、耐震性・耐火性の高い橋を作り、学校、公園、鉄道をしっかり整備して、災害に強い街を作るという計画でした。
 当時は、住民も進んで協力したそうです。狭い土地に広い道路をつくる区画整理では、土地所有者には一律で1割くらいの土地を提供してもらう必要があるのですが、国が方針をしっかり示して住民をよく説得した結果、区画整理はうまく行きました。
 いまの東京の、永代橋、清洲橋、言問橋などの主な橋、昭和通りや靖国通りといった大きな通りはすべてこの時の復興で作られたものです。
 いわば近代的で首都にふさわしい品格を備えた街を作ろうという「哲学」の遺産なのだそうです。

 国が大方針をしっかり示して、国民に丁寧に説明するというのは、いまのコロナ対策でも求められることだと感じますね。

 武村さんによると、この復興に際しては、みんな「この際だから」という言葉をよく使ったそうです。こういう国難の時だから、みんなで少しずつ我慢して、いい街を作ろうじゃないかという発想ですね。
 ところが、戦後の東京はまったく違う方向にいっていると武村さんは嘆きます。
 東京の、戦災からの復興、そしてその後の高度成長期の開発は、「この際だから」ではなく、「とりあえず」という開発になってしまっているという指摘です。
 前の1964年東京オリンピックの時に、突貫工事で作られた首都高速道路をはじめ、市街地の開発は経済と効率重視で進められていき、結果的には、また関東大震災前のように、災害に弱い東京になってしまっているのではないかということです。
 例えば、首都直下地震の被害想定などをみると、建物の揺れがひどいと予想されている地域は皆、帝都復興で作られた街並みの外側、つまり戦後人がたくさん移り住んできて市街地が拡大していったところばかりというのもその象徴です。


 もうすぐ9月1日、震災から98年目を迎えますが、東京以外の大都市でも、過去の災害の反省が忘れ去られていないか、街づくりの「哲学」をもう一度点検する必要があるのではないかと思いました。
 今回も200人を超える多くの皆さんに参加していただきました。
 武村さん、参加者の皆さん、ありがとうございました。

「げんさいスタジオ」(普通の小会議室)の様子

 
 

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→ポスター(PDF)

→過去のげんさいカフェの様子はこちら

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益川敏英さんをお招きした「第51回げんさいカフェ」の開催報告を再掲します

「追悼 益川敏英先生」

益川先生が7月23日、お亡くなりになられました。ご冥福をお祈りいたします。
当センターの活動や、げんさいカフェにもご理解いただいていた益川先生にもうお会いできないかと思うと寂しい限りです。
益川先生には、げんさいカフェの第51回(第4回が台風で中止になっているため実質的に50回記念でした)にゲストに来ていただき、「減災研究者と社会」というテーマで、現役研究者らに向けた熱いメッセージをいただきました。
最先端研究の傍ら、常に社会に向けての発言を続けてこられた益川先生らしいカフェでした。
ここに、その報告を再掲して、益川さん(カフェでは先生とお呼びせずに益川さん、でやらせていただきました)へのはなむけとさせていただきます。


「減災研究者と社会」

スペシャルゲスト:ノーベル賞学者 益川敏英さん
(名古屋大学特別教授・素粒子宇宙起源研究機構長)
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第116回げんさいカフェ(オンライン)を開催しました

「災(さい)とSeeing」連携企画 
「巨大津波石が教えてくれる南海トラフ地震への備え」

ゲスト:地理学者 平川 一臣 さん
   (北海道大学名誉教授)
日時:2021年 7月9日(金)18:00~19:30
企画・ファシリテータ: 隈本 邦彦 さん
(江戸川大学教授/名古屋大学減災連携研究センター客員教授)

 今回は、減災連携研究センターが実施しているプロジェクト『災とseeing』との連携企画ということで、「東三河編」のビデオにご出演いただいた北海道大学名誉教授の平川一臣さんにゲストに来ていただきました。

 津波石というのは、昔の津波で、海岸付近の少し高いところまで運ばれ、そこに残っている石のことをいいます。
 愛知県西三河地方の伊良湖岬には、100トンを超えるような大きな津波石が、多数見つかっています。げんさいカフェのポスターに紹介したのも100トン超。こうなると石というより巨岩といったほうがいいですね。
 カフェではまず、平川さんから、海岸にたくさんある岩の中から津波石を見つける方法を教えていただきました。
 その一つは色の違い。
 伊良湖岬のあたりの海岸は、比較的色が黒い玄武岩の岩盤ですが、その上にチャートと呼ばれる白くて硬い岩石が載っているので、一目で津波石とわかるのだそうです。
 そこより高いところにチャートの層がないので、上から落ちてきたと考えられない。さらに近くには川がないので、土石流などで流されてきたということも考えられない。ということで、沖合の海底の岩が、大津波の時に運ばれ、水が引いた後にそこに残ったと考えられるということです。
 平川さんによると、伊良湖岬付近の沖合の海底にチャートの層があって、あきらかにこの一部が運ばれてきたと推定されるということです。
 伊良湖岬の付近には、標高3メートルから7メートルのところに、このような大きな津波石が数十個見つかっています。

 では、この津波石が、私たちに南海トラフ地震の何を教えてくれるのでしょうか?
 なにしろ100トンの巨大な岩が、重力に逆らって地上に運ばれるわけですから、相当大きな津波が起きた動かぬ証拠であると考えられます。それがいつのことかわかると、そのような超巨大地震が起きた時期がわかるというわけです。
 時期を確かめるためには、津波石の下を掘って、すぐ下に接している土を採取するのだそうです。その土に含まれている放射性炭素で年代測定をして、何千年くらい前の地面だったかというのを確かめます。
 カフェのポスターに登場している伊良湖岬灯台近くの津波石の下の土は、紀元前1640年から1520年くらいとわかりました。つまり今から3500年ほど前に、この場所に、ものすごい超巨大津波がやってきたということになります。
 南海トラフ巨大地震は、100年から150年に1回繰り返し襲ってくると言われてきましたが、最近の研究で、まったく同じ地震が定期的に来ているというより、来るたびにいろいろな個性があり、大きさも、巨大な津波石を運ぶ超巨大なものから、昭和の東南海、南海地震のように、それに比べると少し規模の小さいものがくることもあるらしいということがわかってきました。
 私たちが歴史記録などで知っているのは、せいぜい過去1400年くらいですが、何千年に1回くらい、それを上回るような超巨大地震がやってきている可能性もありそうです。
 平川さんによると、渥美半島から伊勢志摩地方にかけては、これまで津波石など津波堆積物を使った研究があまり行われてこなかったということで、平川さんたちがいま精力的に研究をされています。

 最後に伺ったのはちょっと残念な話。
 平川さんは、北海道大学を定年退官されたのをきっかけに、生まれ故郷の豊橋に戻ってこられたのですが、こちらに来られるより前に、地元の田原市が、伊良湖灯台付近に観光用の遊歩道を整備し、その工事に伴ってたくさんの津波石が撤去されてしまいました。
 40年前の1981年ごろの航空写真をみると、伊良湖岬付近にごろごろとたくさんの津波石が転がっていましたから、平川さんは、その津波石群がそのまま残されていれば、ここ数千年間の南海トラフ巨大地震の歴史の解明がもっと進んだかもしれないと悔しがっておられました。
 津波堆積物の研究は、開発が進んで人の手が加わると、難しくなるのが常です。
 渥美半島の津波堆積物も、そうなる前にもっと研究をしておかないといけないということですね。
 今回もオンラインで180人の方が参加してくださり、たくさんの質問をいただきました。平川さん、参加者の皆さん、ありがとうございました。

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→ポスター(PDF)

→災とSeeingツアー東三河編の動画はこちら

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第167回防災アカデミー(オンライン)を実施しました

講師:釜井 俊孝 さん
  (京都大学防災研究所教授)
内容:宅地の防災学-未災の地盤-
日時:2021年7月6日(火)18:00〜19:30

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クラウドファンディング『災害を今に伝える場所を巡るオンラインツアー「災(さい)とSeeing」』映像コンテンツが完成致しました!(全4コース完成)

『災害を今に伝える場所を巡るオンラインツアー』映像コンテンツ全4コースの公開を開始します!

 私どものプロジェクト『災害を今に伝える場所を巡るオンラインツアー「災(さい)とSeeing」』をご支援いただき誠にありがとうございます。
 たいへんお待たせしましたが、このたび、映像コンテンツの全4コースが完成いたしましたので、ご報告させて頂きます。

 映像コンテンツは、石碑や史跡と周辺の名所を巡る下記の1~3の3コースを制作しており、さらには㈱キャッチネットワーク様の番組制作に協力し、三河地震にまつわる西三河コース(番組名:「三河凸凹(でこぼこ)地形さんぽ」)を合わせて、全4コースが完成致しました。

1.南海トラフの地震にまつわる東三河コース
2.濃尾地震にまつわる尾張コース
3.伊勢湾台風にまつわる名古屋・海部コース
4.三河地震にまつわる西三河コース(番組名:「三河凸凹(でこぼこ)地形さんぽ」)

 本日より、先行して公開しておりました東三河コース、西三河コースに続いて、尾張コースと名古屋・海部コースの2コースについても、公開を開始いたします。

※東三河コース、西三河コースは、先行して3月26日より公開しております。

■尾張コース(濃尾地震)

■名古屋・海部コース(伊勢湾台風編)

■東三河コース(南海トラフの地震)


 
■西三河コース(三河地震)


 
 上記のリンクをクリック頂き、オンライン上ではございますが、それぞれの地域の良さも感じて頂きながら、災害を今に伝える場所を巡っていただき、災害への備えについて、改めて考えて頂く機会にしていただけましたら幸いです。また今後、専用ホームページを作成し、災害を今に伝えるスポットを紹介するマップについても、順次一般公開を目指して参ります。その際は、改めて皆さまにお知らせ致します。
 最後までしっかりと取り組んでいく所存ですので、今しばらく、お待ち頂けましたら幸いです。

               2021年7月5日 「災(さい)とSeeing」チーム一同

※クラウドファンディング『災害を今に伝える場所を巡るオンラインツアー「災(さい)とSeeing」』事業についてはこちらをご覧ください

※許可なくコンテンツまたはその一部を転載することを禁じます。
Reproducing all or any part of the contents is prohibited without the author’s permission.

【お問合せ先】052-789-3468 「災(さい)とSeeing」担当


 

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第9回減災連携研究センターシンポジウム(オンライン)を開催しました

 第9回減災連携研究センターシンポジウム(オンライン)「東日本大震災から10年:次の震災に向けどう備えるか」を、開催しました。

 
 


※こちらのイベントは終了しました。

減災連携研究センターは、下記の通り、第9回減災連携研究センターシンポジウム(オンライン)「東日本大震災から10年:次の震災に向けどう備えるか」を開催いたします。
ご参加くださいますよう、よろしくお願いいたします。


→チラシはこちら(PDF)

第9回 減災連携研究センターシンポジウム(オンライン)
東日本大震災から10年:次の震災に向けどう備えるか

2011年3月11日の東日本大震災から10年が経過した。東日本大震災は直接・間接に多大な影響を地域社会にもたらし、10年を経た現在も震災からの復興は道半ばである。この10年間を振り返り、事前および事後の対応における問題点を確認するともに、そうした反省を踏まえて発生が懸念される南海トラフ地震への対応について考え、将来に向けた取り組みの中で減災連携研究センターが果たすべき役割について議論する。

■日 時 2021年6月25日(金)13:30-17:00

■プログラム
  司会進行:西川 智(センター教授)

 13:30〜13:40 開会挨拶  飛田 潤(センター長)
 13:40〜14:25 講演1「東日本大震災10年の振返りと次への教訓」
              今村 文彦(東北大学災害科学国際研究所所長)
 14:25〜15:10 講演2「南海トラフ地震への備えと課題」
              平山 修久(センター准教授)
 15:10〜15:20 休憩
 15:20〜16:50 パネル討論「次の震災に向けた減災連携研究センターの取り組み」
  パネリスト  今村 文彦、福和 伸夫(センター教授)、飛田 潤、平山 修久、荒木 裕子(センター特任准教授)
  モデレーター 中川 和之(時事通信社解説委員)
 16:50〜17:00 閉会挨拶  田代 喬(副センター長)

■開催形式:zoomウェビナー
■参加費:無料

主催:名古屋大学減災連携研究センター
 

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第166回防災アカデミー(オンライン)を実施しました

講師:室﨑 益輝 さん
  (兵庫県立大学大学院減災復興政策研究科長)
内容:災害復興の歴史に学ぶ、明日の減災復興への教訓
日時:2021年6月18日(金)18:00〜19:30

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第115回げんさいカフェ(オンライン)を開催しました

これからの私たちの治水について考えよう

ゲスト:国土デザイン学者 中村 晋一郎 さん
(名古屋大学大学院工学研究科准教授/減災連携研究センター兼任)

日時:2021年 6月9日(水)18:00~19:30
企画・ファシリテータ: 隈本 邦彦 さん
(江戸川大学教授/名古屋大学減災連携研究センター客員教授)


 今回のカフェは、本格的な雨のシーズンを前に、河川防災と治水の専門家である名古屋大学大学院工学研究科の中村晋一郎さんに来ていただきました。
 去年は令和2年7月豪雨、それから一昨年は東日本台風、さらにその前の年は西日本豪雨と、このところ毎年、大雨の災害が起きていますよ。なんでこんなに水害が繰り返されるのか素朴な疑問を感じるわけですが、それをお伺いした中村さんお話の中で、なるほどと思ったのが「堤防効果」という言葉でした。
 もともと人間は、洪水がたびたび起きるようなところには住まないわけです。例えば江戸時代より前には、川の近くの氾濫平野は田んぼと湿地のままにして、人は少し高いところに住むという暮らしをしていたわけです。つまり自然と一体化して、共存してきた。
 ところが近代以降、治水対策が進んで立派な堤防ができると、洪水の頻度はぐっと減って安全になったのですが、人は川のすぐ近くで住むようになりました。
 東京、大阪、名古屋などの大都市はみんな川が流れる平野、いまの日本では、人口の50%、資産の75%が、浸水想定地域に位置しているというデータが得られています。
 確かに平地は豊かで住みやすい、そこに人が集まるというのは自然なことですが、しかし「堤防効果」の負の側面というか、ひとたび堤防が決壊すると大きな被害がでるということとにつながります。

 その実例が、西日本豪雨で大きな被害をうけた倉敷市真備町です。
 真備町では、明治以降、それこそ5年から10年に一度くらい頻繁に水害が起きていた地域ですが、河川改修が進んだ1970年代以降、水害はめっきり減っていました。その時期に真備町の中心部が市街化区域に指定されて人口が増え、さらに1999年には鉄道が通って駅もできたりして、真備の街はすっかり大きくなりました。しかしそれはつまり、水害の常習地域に人が多く住むようになったということでもあります。そこに3年前西日本豪雨が来て、たくさんの死者が出てしまったわけです。
 中村さんたちの研究で、初めてはっきりとしたデータとして裏付けられたのは、真備町では、「最近建った家ほど浸水被害が大きかった」ということでした。被災した家を一つ一つ分析した結果、浸水が50センチ以下だった区域よりも、浸水が2メートル以上だった区域のほうが、1996年以降に建った新しい家の割合が2倍以上も高かったそうです。
「堤防効果」というのは、もともと米シカゴ大学のギルバート・ホワイト教授が指摘した概念だそうで、いま世界の研究者が、それをデータ化して実証しメカニズムを解明しようという研究に取り組んでいるのだそうです。

 近代的な治水対策、つまりダムや堤防を作ることによって、ある程度の規模までの水害はしっかり防ぐことができているのは確かです。日本では、戦後多発していた水害をそうやって着実に減らしてきました。
 中村さんによると、昭和30年ごろに、限られた予算でなるべく全国平等にバランスの取れた治水を進めていこうということで日本は確率主義を導入しました。データをもとに200年に一度の雨などを計算して、それをその川の治水の基本流量(基本高水)とする考え方です。
 それまでの治水の考え方=既往最大主義=を大きく変えるパラダイムシフトであり、それによって全国の水害を減らしてきたのですが、最近ではそれが限界に達しているのではないかという指摘も出てきました。
 地球温暖化も一因だと思いますが、過去のデータをもとに計算したものを上回る雨が降ることも多くなって、確率主義だけでは太刀打ちできなくなっているのが現状のようです。
(このあたりの詳しいことは、最近中村さんが書かれた『洪水と確率:基本高水をめぐる技術と社会の近代史』(東京大学出版会)を参考にしてください)

 そこで中村さんは、日本の治水はこれからさらに新しいパラダイムに転換していかないといけないとおっしゃっていました。
 ただ、相手(大雨)が強くなることばかり考えて堤防を高くするだけだと河川改修の費用がいくらあっても足りなくなります。そして、高い堤防は、決壊した時の被害も大きくなるわけです。
 だからもう一度、江戸時代以前の自然との付き合い方、堤防に切れ目をいれて安全に田んぼに水を誘導する「霞堤」などが有名ですが、ある程度、川が溢れることを想定して、そこには人が住まないで雨を地域全体で受け止める、そんな考え方も取り入れていく必要があるのではないかとおっしゃっていました。
 中村さんの言葉では「分散」「一体」「地域」「知恵」。それで流域全体を守る考え方があらためて必要になっているのではないかということでした。

 これからの治水は、科学と知恵の両方が必要だということがよくわかるカフェでした。
 あとはやっぱり早めの避難ですね。水害は来るけれども、いち早く逃げて人的被害を限りなくゼロに近づける、これも人間の知恵だと思います。
 的確に情報を得て早く逃げるということを、私たちとしたら心がけたいですね。
 中村さん、参加者の皆さん、ありがとうございました。

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→ポスター(PDF)

→過去のげんさいカフェの様子はこちら

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第165回防災アカデミー(オンライン)を実施しました

講師:天野 和彦 さん
  (福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任教授)
内容:東日本大震災から10年 ~ふくしまの教訓が訴えかけるもの~
日時:2021年5月12日(水)18:00〜19:30

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第114回げんさいカフェ(オンライン)を開催しました

シリーズ東日本大震災から10年⑤
古地震・古津波研究から予測する巨大地震

ゲスト:古地震学者 宍倉 正展 さん
(国立研究開発法人 産業技術総合研究所 活断層・火山研究部門 海溝型地震履歴研究グループ長/減災連携研究センター客員教授)

日時:2021年 5月10日(月)18:00~19:30
   ※5月10日は【地質の日】
企画・ファシリテータ: 隈本 邦彦 さん
(江戸川大学教授/名古屋大学減災連携研究センター客員教授)

 東日本大震災の前と後で大きく変わったものの一つが、古地震、古津波の研究の重要性への認識です。
 東日本大震災とほぼ同じ規模の巨大津波が、約1100年前の貞観地震で起きていたことは震災前にはあまり注目されず、十分な備えができなかったことへの反省です。やはり古い地震や津波についての研究をしっかりしておかないと、と多くの人が思うようになりました。

 しかし地震計などを使った近代的な地震観測が行われるようになったのは、この100年余のこと。ということは、それより昔に起きた地震について知るためには、それ以外の方法が必要です。
 古文書の記録などは、かなり参考になります。とはいえ、しっかりした記録が残っているのは江戸時代以降が中心で、戦国時代などはあまり残っていませんし、それ以前についても都があった近畿以外の情報はほとんど手に入りません。
 そんな中で、大きな手がかりになるのが、地形や地質の研究から得られる情報です。
 そこで、今回のカフェでは、地形や地質から昔の地震を知る研究を長年やってこられた産業技術総合研究所=産総研の宍倉正展さんにゲストに来ていただきました。

 宍倉さんから、地形や地質から昔の地震を知る手法のいくつかを教えていただきました。
 まずは、地震の活断層を実際に掘って調べてみるという方法。
 例えば、今から何千年前くらいのところで地層が食い違っているから、ちょうどその頃に地震が起きたらしいとわかる、という方法です。いつ頃かというのは、その地層に含まれる放射性炭素を調べて推定するのだそうです。考古学の方法と同じですね。
 また過去に液状化が起きた痕跡が残っている場合もあるそうです。地震で液状化が起きると、いろんなところに砂が吹き出す噴砂現象がおきますね。その噴砂の痕跡のあたりの地層を調べると「いつ頃に(平野が液状化を起こすくらい)大きな地震が起きた」というのがわかるというわけです。
 そしてもう一つが、津波堆積物の痕跡を調べることです。
 大地震で津波が陸地に押し寄せると、海の砂が一緒に内陸の平野まで運ばれます。すると津波が引いた後も、海の砂がそのあたり一帯に残ってしまうのです。その後、その場所に人の手が加わらなければ、そのまま地面の下に「津波の痕跡」が残るというわけです。
 約1100年前の貞観地震で、東北地方太平洋沿岸に大きな津波が来ていたらしいということは『日本三代実録』という古文書に短い記述がありましたが、1990年ごろ以降、東北大学や宍倉さんたち産総研のグループなどが、仙台平野や石巻平野で津波堆積物の痕跡を調べて、どれくらいの規模の津波だったかを確かめる研究を進めていました。
 宍倉さんたちの研究では、石巻平野のかなり奥、海岸線から3〜4キロ奥の方まで津波が襲っていたことがわかり、仙台平野で行われた調査結果などもあわせて、震源のモデルやマグニチュードの推定も行われていました。これらの研究は文部科学省のプロジェクトとして進められていて、大震災の前の年、2010年の春に国の地震調査研究推進本部に報告書があがっていたのだそうです。そこから1年ほどかけて、まさに巨大地震の予測に実際に役立てられようとした矢先に、巨大地震が来てしまったということです。
 もちろんこういう研究成果が認知されてから、実際の津波対策や政策に生かされるまでには時間がかかるので、地震前にどれだけ備えができていたかわかりませんが、宍倉さんによると、こういう地質学的な古地震、古津波研究がもうすこし重要視されていたら、被害はもっと減らすことができたのではないかという思いがあるということです。

 宍倉さんは、海岸にいる生物の痕跡を調べて、過去の地震による地殻変動を推定する研究も進めていらっしゃいます。
 海岸の岩場などに行くと、フジツボなどのいろんな生物が岩にくっついているのを見かけますね。
 宍倉さんはその中でもヤッコカンザシという生物に注目しました。
 ヤッコカンザシは、潮の満ち干きのちょうど真ん中あたり=平均海面付近=に暮らすという性質を持つ生き物で、それが死んだ後の殻がくっついている場所がちょうどその時代の海面であると推定できるのだそうです。そこで、その痕跡を調べることで、過去に大地震が起きた場所が、その後隆起したのか沈降したのか、つまり地震にともなう地殻変動の歴史がわかるということです。
 三浦半島や房総半島での宍倉さんご自身の調査結果を見せていただきましたが、いまの海面の高さより高いところに1923年の関東地震前の海面の痕跡が、さらにそれよりも高いところに1703年の元禄地震の時の痕跡を見つけることができるそうです。
 こうして、たくさんの海岸の岩の痕跡を丁寧に調べる、まさに足で稼ぐ研究によって、古い地震で起きた地殻変動の様子を調べることができ、その地震の規模なども推定できるということです。
 最近ではGPS観測網をつかって、地殻変動が正確に観測できますが、そういう観測網ができたのはここ20年のこと。何百年何千年に一度しか起きない巨大地震の痕跡をしっかり捕まえるには、このような地道な努力が必要なのですね。
 ちなみに今回のカフェでは、目からウロコの情報を教えてきただきました。
 ヤッコカンザシの学名はPomatoleios kraussii。この学名の後半部分のkraussiiの文字の順番を入れ替えると、なんとsisikuraになるのです! 過去の地震について私たちに貴重な情報を提供してくれる生物の名前が、それを研究する第一人者の名字と一致するとは!推理小説に登場してきそうな“アナグラム”に、参加者の皆さんも驚かれたたことでしょう。

 参加者のみなさん、宍倉さん、ありがとうございました。


→ポスター(PDF)
→過去のげんさいカフェの様子はこちら

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