第63回げんさいカフェを開催しました

「熊本地震から4か月でわかってきたこと」

ゲスト:地震学者 山岡 耕春さん
(名古屋大学大学院環境学研究科地震火山研究センター教授)

日時:2016年8月9日(火)18:00〜19:30 
場所:名古屋大学減災館 減災ギャラリー
企画・ファシリテータ: 隈本 邦彦(名古屋大学減災連携研究センター客員教授)

 げんさいカフェは、「南海トラフ広域地震防災研究プロジェクト」との共催で実施しています。

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 カフェの冒頭、山岡さんが示した写真は、ご自身が撮影されたという熊本城。石垣が崩れ、屋根瓦が無残に落ちている姿が印象的でしたが、山岡さんは「歴史的に見れば、お城が被害を受けるということは1586年の天正地震、1596年の慶長伏見地震、1948年の福井地震でもあったこと。みなさんは歴史の1ページを目撃したと考えてください」とおっしゃいました。確かに日本列島は常に地震に見舞われてきましたし、敵兵が上がって来れないよう垂直近い角度で立っている石垣は、強い揺れに遭えば崩れるということも、ある意味必然なのかもしれません。

 さて今回の熊本地震の大きな特徴の一つは、4月14日夜にM6.5の地震が起き、その28時間後の16日未明にM7.3の地震が起きたことです。気象庁は、M7.3地震の発生後に「こちらが本震で、14日の地震は前震だった」と発表しましたが、私たち素人は、なんだか狐につままれたような気分でした。というのも気象庁は15日に今後の余震発生確率について発表していましたが、その時点での14日夜の地震(その時点での本震)を上回る地震が起きる可能性には直接言及していなかったからです。
 これについて山岡さんは「一連の地震の中でいちばんマグニチュード(規模)が大きい地震を本震とする」という定義に従って気象庁がそう呼びなおしただけで、本当は、「余震が本震の規模を上回った」と言いたいとおっしゃいます。

 実は過去の歴史を見てみると、M5以上の内陸の地震で、最初の地震が最大ではなかった地震(つまり余震が本震の規模を上回ったケース)は、1930年以降16回あり、全体の5%くらいにあたるのだそうです。つまり最初の地震がいちばん大きくて、その後、時間の経過に反比例して余震が減っていくという“素直な”経過をたどる地震ばかりではなく、そうでない地震も5%くらいあるということ。これを知っておいて損はないですね。
 いま気象庁は、余震確率の発表のやり方やタイミングについて、専門家に検討してもらっているとのことで、近くその方向性が発表されるそうですが、過去の地震を見ると、余震が本震の規模を上回ったというようなケースは、だいたい1週間以内に起きていることが多く、我々としてはおおむね1週間くらいは、より大きな余震がありうることを考えて注意する必要があるのかもしれません。

 もう一つ山岡さんの指摘で驚かされたのが、宮崎県沖の日向灘を震源とするM7クラスのプレート境界の地震と、九州の内陸地震との関係。この100年間くらいの発生状況をグラフにしてみると、日向灘の地震の発生の前後半年の間に、九州の内陸地震が活発化している傾向がみえるということです。今回は、熊本地震が起きて4か月たつのに、まだ日向灘の地震は起きていませんから、あと2か月くらいは要注意といえそうです。

 また熊本地震は地表に長い地震断層が顔を出した地震でしたが、地震学的には、M7クラスの地震断層の大きさと、その地震によって起きる揺れの強さとの関係について、新たな知識を与えてくれる地震ではないかということがいま注目されているそうです。
 もともと規模の小さな地震と、規模の大きな地震とでは、地震断層の大きさとその地震のモーメント(マグニチュードと同じように考えていいそうです)の関係式が、自然界で起きる出来事を比較的よく説明できていましたが、M7クラスの地震では、まだ未解明の部分が多く、特に熊本地震のように地表に地震断層があらわれた地震の場合にはその影響でモーメントが大きくなるのではないかと言われていたそうです。地震断層の大きさと、予想される揺れの強さの関係は、原子力発電所の立地など重要施設の耐震設計の問題とも絡むだけに、今後の地震学者たちの研究に注目したいと思います。
 
 今回も質疑応答が活発に行われ、参加者との対話が盛り上がりました。山岡さん、参加者の皆さん、ありがとうございました。

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→ポスター(PDF)
※過去のげんさいカフェの様子はこちら

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