減災センタースタッフブログ:「東北被災地巡見の記録と大切なもの」(東海市 小島さん)

こんにちは。受託研究員の小島です。
今年の4月から、
名古屋大学減災連携研究センターでお世話になっています。

さて、みなさま、2011年3月11日の東日本大震災から、
3年半が経ちました。
現在、東北地方は、どのようになっているか御存知でしょうか。
復興は着実に進んでいるのでしょうか。
テレビなどのメディアでは、東北地方がどこまで回復したのか、あまり報道されなくなりましたよね。
そこで、今回は、9月に巡見しました東北地方の現状について御報告いたします。

今回訪れた場所は、名取市、石巻市、女川市、南三陸町、陸前高田市、釜石市、大槌町です。
東北の沿岸部を南から北へ移動しましたが、どちらも工事中で、復旧作業を行っている状況でした。
ずうっと工事現場の中を通ってきた、という印象です。
ガレキはどの地域もきれいに片付けられていました。

名取市閖上(ゆりあげ)中学校北東側風景名取市の閖上(ゆりあげ)中学校から北東側を見た風景です。遠くに見える家は、1階部分の窓や扉がありません。津波で被災した当時のまま残っていました。
震災前は、ここは住宅地でしたが、震災の津波で家はほとんど流され、現在は草むらになっています。

陸前高田市ベルトコンベアこちらの写真は、陸前高田市のベルトコンベアです。山を削って、浸水した地域へ砂を直接運び、かさ上げを行っています。
街を復興させるためには、まず、復旧させなければなりません。しかし、どちらの地域も復旧作業に追われており、まだ復興には着手できていませんでした。なぜでしょうか。

ひとつの理由に、
人材や資機材が足りていないということが挙げられると思います。
実際に、今回訪れた場所では、どこもユンボなどの重機が1〜2台、ダンプカーが2〜3台動いているだけという状態でした。

みなさまも御承知のとおり、
2020年には東京オリンピック・パラリンピックが開催される予定です。
一部の建設会社では、人件費や材料費の高騰、人手不足などにより被災地での事業を撤退し、拠点を東京に移しつつあるそうです。
重機が少なかったのは、そのためでしょうか・・・。

ところで、釜石市を訪れたとき、
コミュニティや自主防災会の役員の方とお話しする機会をいただきました。
そこでは、被災当時の話や、避難所生活の話、後方支援の話等を伺いました。

東日本大震災では、被災した市職員も多く、市職員がいない避難所も多々あったそうです。

そういったところでは、地域の方々で避難所を運営しなければいけないのですが、市職員がいなかった避難所の方が、いた避難所よりもうまく運営ができていたそうで、食事を皆で持ち寄るなどして、助け合いながら生活し、人とのつながりの大切さを改めて実感されたそうです。

大規模災害が起きたとき、私たち公務員はできる限りのことはやります。
しかし、残念なことに、もしかしたら公助は行き届かないかもしれません。
みなさまは、実際に被災したとき、どのような行動をとるか、どちらに避難するか決めていますか。
また、家屋の耐震化や家具固定、備蓄品など、備えはしてありますか。
災害時に生き抜くためには、「自助・共助・近助」がとても大切です。

11月5日は「津波防災の日」。
この機会に、ご家族やご近所と震災の対策や備えについて、今一度確認し合ってはいかがでしょうか。

視察ルート

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