第113回げんさいカフェ(オンライン)を開催しました

シリーズ東日本大震災から10年④
東日本大震災から10年ー大地震の可能性に気づけなかった意外な要因とは?

ゲスト:地殻変動学者 鷺谷 威 さん
(名古屋大学減災連携研究センター教授)

日時:2021年 4月7日(水)18:00~19:30
企画・ファシリテータ: 隈本 邦彦 さん
(江戸川大学教授/名古屋大学減災連携研究センター客員教授)

   
 東日本大震災は、M9.0という超巨大地震でしたが、多くの地震学者たちは、東北地方の太平洋沖でそのような大地震が起きる可能性に気づくことができませんでした。
 まさに「想定外」だったわけですが、その要因について、1つの発見があったということで、名古屋大学減災連携研究センターで、地殻変動の研究をされている鷺谷威さんにお話を伺いました。

 多くの研究者にとって「想定外」だった理由には、東北地方の過去の巨大地震や津波についての知見が少なかったことや、研究者の思い込みとか先入観などもあったのでしょうが、その中ではっきり、「観測データ」の形で「あの付近には巨大地震を起こすほどのエネルギーが溜まっていないのではないか」と考えられるものがあったんです。
 それが三角測量の結果です。
 三角測量というのは、4〜50キロおきに設置した全国の一等三角点を、小さな望遠鏡のような装置で、精密に角度を測定して場所を決め、地図を作りあげていくという測量方法です。この三角測量は明治時代から行われていますが、それと1970〜80年頃の結果を比較して過去約100年分の変化を見ると、東北地方は、東西方向にはほとんど縮んでいないという結果が得られていたのです。

 東日本大震災のような海溝型の地震は、日本列島が乗った陸側のプレートの下に、太平洋のプレートが定常的に潜り込んでいて、それによって溜まったひずみが地震で一気に解放されることによって起きます。そうやって陸側のプレートにひずみが溜まっていることは、東北各地のGPS観測点の動きによって知ることができ、だいたい毎年約0.1ppm(1000万分の1)くらい東西方向に圧縮されていることがわかっています。
 ところが三角測量の結果を約100年前と比べてもほとんど東西方向の圧縮が見られなかったわけです。そこで多くの地震学者は「ひずみはこの約100年間の間に、何らかの形で解放されたのだろう」と考えました。
しかしその考えは間違っていて、実際に大地震は起きてしまいました。

 毎年少しずつ東西方向に圧縮されているはずの東北地方が、なぜ約100年間で見ると圧縮されていないようにみえたのでしょう。
 鷺谷さんが注目したのは1894年(明治27年)に行われた、山形県新庄市付近の2つの1等観測点の間(塩野原基線)の距離を測った測量でした。
 当時は、GPSやレーザーがありませんから、人力で距離を測っていました。長さ4メートルの鋼鉄の棒を4本縦に並べ、尺取り虫のように進んでいくという方法でした。それでもプロの測量部隊が慎重に測ることで、約5キロの距離を5ミリくらいの誤差できっちり測れたということがわかっています。
 ところが距離を測った時期が問題でした。
 記録によると基線の長さはこの年の5月末から7月初めにかけて測られたのですが、その直後の10月に、その場所のちょっと西側でM7くらいの庄内地震が起きています。その影響で塩野原基線の距離は5センチほど伸びてしまったのではないかと鷺谷さんはみています。
 しかし基線の測り直しはされないまま、そのまま東北各地の三角測量が続けられて行きました。その結果、鷺谷さんの計算では、当時の東北地方の地図が、実際の大きさより10ppm(10万分の1)とほんのわずかですが、小さめに決まってしまった可能性があるということです。
 ほんのわずかとはいえ、10ppmは、太平洋プレートの潜り込みで東北地方が東西方向に圧縮されている年0.1ppmと比べると、ちょうど100年分くらいにあたります。
 つまり約100年前に、100年分小さめに東北地方の地図が出来てしまっていた。それを約100年後の三角測量の結果と比較すると、東西方向にはちっとも圧縮されてないというふうに見えた、ということのようです。

 実は東北地方では、三角測量の結果から、過去約100年間に南北方向に伸びているというデータがあり、その原因が不明だったのですが、その謎も、鷺谷さんが推定するように、庄内地震で塩野原基線が5センチ伸びたと考えると、きれいに説明できるということです。
 実際、鷺谷さんたちは、最新の技術で、現在の塩野原基線の距離を測り、このような推論を裏付けたそうです。

 測量の年と地震の年が偶然一致していたことを見つけ出し、計算で真実に迫っていく鷺谷さんは、まるで謎解きに挑む名探偵のように感じました。(笑)
 そこで、この発見をした時どう思いましたか、とお伺いしたら「発見の喜びよりも、なぜこんなことに地震前に気付いてなかったんだろうと『脱力』しました」とのお答え。「わかっていれば何か警告を発することができたかもしれないのに」という思いだったそうです。

 東日本大震災から10年、自分たちが可能性に気づけなかったのかを一生懸命研究して、次の防災に生かそうとしている研究者たちの頑張りがよくわかったカフェでした。
 鷺谷さん、200人超のたくさんの参加者の皆さん、ありがとうございました。


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