第74回げんさいカフェを開催しました

「明応地震津波の謎を考える」

ゲスト:建築耐震学者 浦谷 裕明さん
   (名古屋大学減災連携研究センターエネルギー防災寄附研究部門助教)

日時:2017年7月3日(月)18:00〜19:30 
場所:名古屋大学減災館1階減災ギャラリー
企画・ファシリテータ: 隈本 邦彦(江戸川大学教授/名古屋大学減災連携研究センター客員教授)

 げんさいカフェは、「南海トラフ広域地震防災研究プロジェクト」との共催で実施しています。

 名所旧跡を訪ねた時、看板に書かれている由来や故事を、あまり疑いもせず信じてしまいますよね。
 たとえば鎌倉大仏の横にある「国宝鎌倉大沸因由」と書かれた看板には、大仏を安置していた大仏殿が「明應7年(1498年)海嘯に流出」と書かれていて、南海トラフ巨大地震の一つと考えられている明応地震で大仏殿が流されたことになっています。しかし標高14m付近にある大きな建物が壊れて流されたということは、明応地震の津波がその後の1707年宝永地震や1854年安政地震よりも、ずっと高い大津波だったということになります。明応地震は、ほんとうにそんな高い津波を発生させる巨大地震だったのでしょうか。
 また静岡県の浜名湖は、明応地震の津波によって、かつて湖だったのが今のように海とつながった汽水湖になったと言い伝えられています。今切(いまぎれ)と呼ばれるその場所に立ってみると、この壮大な地形を変えてしまうほどの津波っていったいどんなものだったのだろうと恐ろしくなります。

 ところが、今回のげんさいカフェのゲストである浦谷さんが、これらの記述や言い伝えの根拠を探ろうと、明応地震前後の出来事を記した古文書などを詳しく調査した結果「鎌倉大仏殿の流出」や「今切の出現」が必ずしも明応地震の時におきたとは断定できないことがわかったとおっしゃるのです。そのお話にカフェの参加者一同、まず驚かされました。

 明応地震は、応仁の乱の後、日本が戦国時代に突入した時期に起きました。世の中全体が騒然としていたためしっかしりた記録があまり残っておらず、謎に満ちた地震とも言われています。
 まず鎌倉大仏の大仏殿流出の謎に挑戦してみましょう。
 実は大仏の前の看板の記述は、遠く会津地方にあった塔寺八幡宮の続長帳という文書の「明応七年八月二十五日、大地震、一日一夜三十震、鎌倉由井浜海水涌、大仏殿迄上ル」との記述や、鎌倉大日記という文書の「八月十五日大地震洪水、鎌倉由比濱海水到千度檀、水勢大佛殿破堂舎屋、溺死人二百餘」との記述などが主な根拠となっているそうです。
 しかし鎌倉大日記のほうは、日付が明応4年の8月15日という明応地震とは別の日になっていることに注意が必要です。どちらが本当なのでしょうか。

 浦谷さんは、だいぶ後の世になって複数の人によって書かれた塔寺八幡宮続長帳よりも鎌倉大日記のほうが、信憑性が高いと考えており、そうすると実は「明応地震」の3年前に相模トラフ付近を震源とする別の大きな地震があり、その時に大仏殿に達するような津波が来た可能性があることになるということです。壊れた大仏殿というのも、今の鎌倉大仏を安置する建物ではなく、当時は広かった寺の境内の、どこか海沿いの建物が壊れたに過ぎないのではないかという解釈も成り立つそうです。
 明応地震の12年前にはすでに鎌倉大仏が露座していたという信憑性の高い古文書もあり、別の時期に別の理由で大仏殿が壊れたことと、明応地震の記録とがごっちゃになっている可能性もあるかもしれません。なるほど。観光地の看板をうのみにしてはいけないということですね。

 さて浜名湖の今切のほうの謎ですが、こちらも浦谷さんが当時のことを書いた古文書を徹底的に調べなおしたところ、確かに明応地震が起きた明応7年8月に今切ができたとしている記録もありましたが、それより前の明応7年6月だったという記録や、翌年の明応8年6月だったという記録、さらにはその11年後の永正7年8月にできたという記録もありました。(むしろそちらのほうが数が多いのだそうです)また、周辺の神社などの調査からも、実は明応地震の津波で一度に今切が出来たというより、その頃たびたび起きていた水害なども複合して、何度かの災害で、徐々に浜名湖が海とつながっていったと考える方がいいのではないかということでした。

 確かに少ない記録から、しかも直後に書かれた記録と後の世になってまとめられた記録が混在する中で、その真偽を一つ一つ確かめながら、実際に起きた出来事を再構成するのはたいへんな作業です。しかし東日本大震災以降、こうした歴史地震研究の重要性が見直されており、浦谷さんのような若い研究者が取り組んでくださるのはうれしい限りです。浦谷さんは電力会社の出身の研究者ですが、こうした研究を通じて、電力会社が発電所建設などのために、従前から過去の地震災害の歴史をしっかり研究してきていることを、PRしたいとおっしゃっていました。

 まるで推理小説を紐解くようなカフェの展開に、参加者のみなさんの質疑応答も盛り上がりました。浦谷さん、参加者の皆さん、ありがとうございました。

→ポスター(PDF)
※過去のげんさいカフェの様子はこちら

This entry was posted in お知らせ, げんさいカフェ. Bookmark the permalink. Both comments and trackbacks are currently closed.