第70回げんさいカフェを開催しました

「災害と教育-東日本大震災を通して考える-」

ゲスト:防災学者 阪本 真由美さん
   (名古屋大学減災連携研究センター特任准教授)

日時:2017年3月17日(金)18:00〜19:30 
場所:名古屋大学減災館1階減災ギャラリー
企画・ファシリテータ: 隈本 邦彦(名古屋大学減災連携研究センター客員教授)

 げんさいカフェは、「南海トラフ広域地震防災研究プロジェクト」との共催で実施しています。


 今回のテーマは「災害と教育」です。東日本大震災の経験は、防災教育にどのような課題を投げかけたのでしょうか。防災教育の研究者・阪本真由美さんにゲストに来ていただきました。

 災害とは、台風・地震・津波などの気象・地象(ハザード)現象が、私たちが生活している街を襲い、それにより被害がもたらされることです。地震が起こっても、そこに人が住んでいなければ被害はもたらされない。地震が起こり、そこに地震に弱い家があり、その家が倒壊することにより、被害がもたらされるわけです。

 災害を防ぐためには「防災教育」が大切、という話をよく聞きます。けれども阪本さんは、「防災教育」という言葉の示すことは曖昧だといいます。自然科学の研究者は、地震がどのようなメカニズムで発生するのかを研究し、その研究成果を人々に伝えることが防災教育だと考えています。社会科学の研究者は、地震や津波が起きた時に人々にどのように命を守るのか、それを伝えることが防災教育だと考えています。でも、それは、それぞれの分野で研究していることの情報発信を行っているにすぎないのではないかと阪本さんは疑問を呈します。本来、教育とは、特定の目標に向けて人を育てること。災害に関する教育も、災害とともに生きるためには、どのような人材育成を目標とするのか。それを考えて取り組まなければなりません。

 東日本大震災の経験は、教育に対して様々な課題を突きつけました。

 ひとつめに、被災した子どもに、教育はどのように向かい合うのかということです。災害は、「死」「喪失」をもたらすとてもつらい出来事です。地震・津波で家族を失い、街は瓦礫で埋まっている。帰る家もなく、避難所と学校を行き来する。そのような毎日を生きている子どもに、何をどう教えれば良いのか。昔は、学校教育では「いかに生きるのか」が重視されていた。でも、現在は、受験を乗り越えるために教科教育が重視され、「いかに生きるのか」という教育が行われなくなりつつある。そのため、生死の境に直面した時に、その判断ができなくなっている。普段の教育現場においても、災害は時には「死」と背中合わせとなること。そのような場に直面した時に、自分がどのように行動するのか、ということを考えていかなければなりません。

 ふたつめに、「いかに生きるのか」をどのように教育現場で教えるのか、という点です。そのような教育に取り組んでいたのが、岩手県の釜石市です。釜石市の小、中学生は東日本大震災が起こった時に、いちはやく避難所に避難していました。しかしながら、釜石にも「逃げない釜石」といわれていた時期があったそうです。2006年11月に北海道の千島列島沖を震源とする地震が起きた時に、釜石市にも津波注意報が出されました。その時に、逃げたと言う子どもはなんと14%だけ。圧倒的多数は避難していませんでした。なぜ、逃げなかったのかを調べたところ、「逃げよう」といったけれども、家族が「逃げなくていい」といったという回答が多数あったそうです。そこで、釜石の教師が集まり「逃げる釜石」になるための教育に取り組みました。津波と同じスピードで走った車と競争して逃げる、自分がどれくらいの確率で災害に遭遇するのか「くじ」を作って体験するなど。教育の目的は「自分の命は自分で守る」「助けられる人から助ける人へ」「地域の災害文化の継承」の三点でした。災害時に自分がどのように行動するのかを、一人一人が考え実践する教育が、すべての教科教育で展開されました。それが、東日本大震災時の迅速な避難に結びついていました。

 その一方で、宮城県石巻市の大川小学校では、児童74名、教員10名が津波の犠牲になりました。大川小学校でも、学校防災マニュアルが事前に準備されており、また、避難訓練も年に3回行われていました。地震が起こった後に、学校内にいた児童は、速やかに校庭に避難しそこで待機していました。しかしながら、津波警報が出されていたにもかかわらず、的確な津波避難行動がとられませんでした。様々な課題があります。津波被害に対する地域・学校双方の意識の甘さもありました。いざ、というときに、自分がどのように行動するのか、それを教師・子ども・地域の人、それぞれが知っておく必要があったと思います。

 教育は、コミュニケーションにより成立します。教師から生徒へ。災害に関する教育も同じです。災害を経験した人「被災した人」から、災害を経験していない「未災の人」へ。でも、一方向で伝えるだけでは教育は成立しません。伝えられたことを「考え」「学ぶ」ことが学習につながります。災害に関する教育ができることは、「被災」と「未災」をつなぐ「場」を作ること、そしてその過程において「いかに生きるのか」に対する回答を見出してもらうことです。東日本大震災の経験を知り、「いかに生きるのか」を私たちは着実に学んでいく必要があります。

 会場の皆さんからは、「災害後にどのような教育を展開しなければならないのか」という質問がありました。阪本さんは、災害について正しい知識を持ってもらうことが大切。例えば、地震の後に「地震が怖い」という話を聞きます。でも、本当は、強い地震の揺れで、耐震性が低い家が倒壊する、あるいは、家具が転倒することにより被害がもたらされる。地震に強い家、家具が倒れてこなければ大丈夫。避難訓練でも、緊急地震速報が鳴ったら、机の下に入るでは意味がない。緊急地震速報がなぜなるのか、地震の時にどのような被害が発生する可能性があるのか、その時に自分がどのような行動をとるのかを考え、実践できるようにしておく必要があります、と答えていました。

 阪本さん、参加者のみなさん、ありがとうございました。

→ポスター(PDF)
※過去のげんさいカフェの様子はこちら

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