第96回げんさいカフェを開催しました

安政東海地震とディアナ号

ゲスト:建築構造学者 都築 充雄さん
   (名古屋大学減災連携研究センターエネルギー防災寄附研究部門准教授)

日時:2019年5月8日(水)18:00〜19:30
場所:名古屋大学減災館1階減災ギャラリー
企画・ファシリテータ: 隈本 邦彦
   (江戸川大学教授/名古屋大学減災連携研究センター客員教授)

 げんさいカフェは、「南海トラフ広域地震防災研究プロジェクト」との共催で実施しています。


 我が国では、“災異改元”といって、大きな災害が続いた時などに人心一新の目的で元号を変える改元が行われてきたという歴史があります。1854年にこの地方を襲った安政東海地震も、その後、嘉永から安政に改元されるきっかけになった大災害でした。
 令和に改元された最初のげんさいカフェとなる今回は、安政東海地震の時の「元気が出るエピソード」について、都築さんにお話しいただくことになりました。

 当時の日本は、欧米列強からさかんに開国を迫られていた時期。静岡県の下田港にも、帝政ロシアから、通商条約締結と国境確定の交渉のためにやってきた軍艦「ディアナ号」が停泊していました。
 そこに安政東海地震が発生、下田湾に流れ込んできた巨大な津波に翻弄されて「ディアナ号」は、竜骨の一部と舵を失い大破するという被害を受けました。当時の船員が書き残した記録には、大きな船体が約30分間に42回転したという記述があります。
 
 ロシア使節のプチャーチン提督以下約500人の乗組員たちは、このままでは故郷に帰れません。やむをえず静岡県の戸田(へだ)という港で修理をすることになりました。ところが戸田港に回航する途中、今度は悪天候に阻まれ「ディアナ号」はいまの富士市の沖合の駿河湾に沈没してしまいました。
 真冬の海に投げ出された船員たちを、命がけで救い、手当てしたのは、近くの漁民たちでした。彼らは陸から身体に綱をくくり付けて沖まで出て、救命用の小舟で流れ着いた船員たちを次々と助けあげたそうです。
 自分たちも地震や津波で大きな被害を受け、食べ物も不足する中で、異国の人たちを必死で助けた漁民たちの物語、後世に語り継ぎたい心温まるエピソードですね。

 江戸幕府の対応もなかなかのものでした。優秀な船大工たちを戸田港に送り込み、ロシア人の指導のもと国産初の本格的な洋式帆船「ヘダ号」の建造に全面協力しました。このことは日本が最新の西欧式造船技術を習得する絶好の機会となったといわれています。
 このヘダ号や、他の外国商船に分乗して、ディアナ号の乗組員たちは無事帰国できたということです。
 プチャーチン提督にとっても、日本人から受けたこのような温かい思いやりは深く心に残ったようです。帰国後は、日本とロシアの友好関係の発展に大きく貢献してくれました。伯爵の称号を受けたプチャーチンさんは、その家紋の右側にサムライの姿を取り入れたというお話や、提督の娘が亡くなった時にその遺言に従って遺産の一部900ルーブルが、日本の貧しい人たちや戸田村に寄付されたというお話も伺いました。

 都築さんは、災害時に人々が互いに助け合うという良き日本人の伝統が、国際関係にも深く影響を及ぼしたといえると指摘しています。南海トラフ巨大地震が近づいているとされる現代の社会でも、その伝統を大事にしたいものです。
 伊豆下田の観光といえばアメリカ使節ハリスの来航の地というのが有名ですが、このディアナ号の歴史にももっと注目しなければと思えるカフェでした。
 都築さん、参加者の皆さん、ありがとうございました。



→ポスター(PDF)
※過去のげんさいカフェの様子はこちら

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